【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】40 「金色」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
少しずつ作品を見て紹介してきて、今回は40回目となりました。
40作品も見てきたんですねー。
第40回は金色 ご紹介します。
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料理人見習いの憲ニは1年経っても厨房に入る事が出来ずに焦っていた。そんな時、趣味のスケボーをしていると盲者の実(みのる)と出会う。
憲ニは自分の周りに盲者がいないので実にどう接していいか最初は戸惑っていたが、次第に心を通わせていく。実の目が見えない事について気にしなくなったはずの憲ニだが、無意識のうちに盲者である実と一緒にいると良い事をしている気分になれると思っていて、実を見下していることに気づく。
今まで何作品も盲ろう者を題材とした作品を鑑賞してきたが、どの作品にも共通するのが「盲ろう者ということで特別扱いをされたくない」ということだ。
この作品でも実が、人に気を使わせたり、面倒そうに思われる事が嫌で、特別扱いされないように、普通の人に見えるように金髪に染めているという発言があった。また、段差を降りる時も手を借りるのではなく自分の力で降りたい。自立したいと思う気持ちが人一倍強いと感じた。
そして、どの作品の盲ろう者も、私たちが思ってる以上に色んなことが出来る。
実も整体師の仕事をしていた。目が見えないと整体をするのも体のどこがどこかというのが触らないと分からないのかなと思ったが、実は1発で腰の位置に手を置いた。スケボーにも乗ろうとしたり、好奇心旺盛だった。だけど、憲ニは危ないからと止めていて、その可能性を狭めているのは周りにいる健常者の方なのかもしれないと感じた。
実は音でそこにいるのが誰かを判断していた。
スケボーの音がすると憲ニだと気づいたのでスケボーの音=憲ニだと解釈していると思ったが、スケボーに乗っていない時も足音で憲ニだとわかっていた。
盲者は触覚を頼りにしてると聞いたことがあるが、ここまで音に敏感だと言うことは知らなかった。目が見えないと車が来ていることを音で判断したり、青信号になるのを誰かが歩き始めた音で判断したり、音を頼りにしている事は知っていたが、足音だけで誰かわかるという事に驚いた。
目が見えないことで研ぎ澄まされる五感や耳が聴こえないことで研ぎ澄まされる感覚は、逆の見方をすると私たち健常者は見えること聴こえることで、本来人類が持っていたかもしれない感覚を眠らせてしまっているのかもしれないと思った。
この作品はオリジナルの他に、日本語字幕、音声ガイドがあるので盲者ろう者、電車の中等で音を出せない人等様々な人、様々な環境でみることができ、アクセシビリティに配慮された作品である。