【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】50 「わたしたちに許された特別な時間の終わり」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
今回は第50回です。
今回ご紹介するのはわたしたちに許された特別な時間の終わり です。
ー-------------
この作品はミュージシャンという夢を追い続けていた先で自殺をした一人の男性を追ったドキュメンタリー映画である。
誰よりも芯が強く、ミュージシャンという夢をひたむきに追い続けていた増田壮太。彼は10代でバンドコンテストで優勝するほどの才能に恵まれていた。
そんな彼が突然自らの命を絶ってしまう。
壮太に誘われ一緒にバンド活動をしていたが自分でも何をやりたいのかわからず就職することで自分の居場所を見つけた蔵人、
二人を映画にしようとドキュメンタリーを撮っていた映画監督であり、壮太の友人の太田。
3人の若者たちをめぐるドキュメンタリー映画である。
ドキュメンタリーの部分とフィクションの部分の境界が曖昧で、生前と死後の世界の境界すら曖昧に感じる部分があり、
生々しく、一度観ただけでは解釈できない部分が多く、観れば観るほど感じ方が変わる映画なのかもしれないと思った。
ドキュメンタリーを撮っている途中で壮太が亡くなった。
壮太の遺書には「映画を完成させてほしい」と、最後のメッセージが書かれていた。
この作品は生前のドキュメンタリーの部分と、その後に撮影された死後の世界のフィクションが交互に織り交ざっている。
死後の世界で、「自殺学の講師」と名乗る人が、自殺した女性に「残された人の気持ちも考えたの?」と責めるシーンが、太田監督から壮太に向けてのメッセージに見えた。
「自殺学の講師」は壮太に寄せて作られた役に見える。
好きなことややりたいことを見つかられない人もいる中で、やりたいことが見つかり好きなことをやり続けること、
夢を追い続けられるのはすごい事だと思う。
だが、好きなことで食べていける人はほんのひと握りの人だけだと思う。
私も5歳の頃から芸能界という世界に入り、夢を追い続けてきた。ある一定の年齢になると周囲にやめていく人が多いと感じてきた。
売れたくても売れる人はごくわずか。仕事が無ければ食べていけない。
生活のためにバイト漬けで忙しくなり、次第に自分が何をしたかったのかがわからなくなる。
作品の中で、壮太もしまいには「就職した」と蔵人にテレビ電話で報告していた。
その時の壮太には笑顔がなく、死んだ魚の様な目をしていた。
その瞬間全てが終わった気がした。
夢を追うために生きていた人が、生きるためにお金を稼ぐ人になった瞬間に思えた。
生き方は人それぞれであり、夢を追う事だけがすべてではない。
わたしも後悔しない人生を送りたいと感じた。
この作品は英語字幕、韓国語字幕でも観ることができ、様々な国の人も観ることができる作品である。