【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】51 「現代版 城崎にて」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
第51回は現代版 城崎にて です。
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この作品は、身近な友人を自殺という形で失って以来、生と死という概念の更新やメンタルヘルスの改善、社会の周縁に生きる命への眼差しをテーマに映像製作を続けていた監督・太田信吾が送る、志賀直哉の短編小説『城の崎にて』を、コロナ禍の2021年に置き換え映画化した作品だ。
ヨーロッパでコロナ陽性者が増える中、フランスで活動している役者、縫は舞台の共演者である男性をコロナウイルスで失くす。
舞台上で彼とのキスシーンがあったが、なぜ彼が亡くなり自分が生きているのか。
自分を肯定できず、彼を失ったショックで声を失った縫は帰国し、城崎温泉へ養生に行く。
作品中には様々な死が出てくる。
共演者を失ってもしかしたら死ぬのは自分だったのかもしれないと思うのと同様に、縫は虫の死を見て
「もしかしたら立場が逆だったのかもしれない」と感じているかのような表情をしているにも関わらず、虫の料理を恐る恐る食べて「おいしい」と言っているのが印象的だった。
縫は声を失っているという設定なので、縫役の俳優さんは1度も話さずに表情だけで演技をしていた。
命という難しい題材であるが、自然で嘘のない演技を見ていて心地よく感じる瞬間があった。
縫が「静」のキャラクターなのに対して、縫の事を気にかけていた昆虫研究所の蛸川は明るくて「動」のキャラクターだと感じた。相反するからこそ縫は心が動かされていると思った。
ベースの小説をコロナウイルスに置き換えて映画化している。
大正時代の作品をわざわざコロナ禍に置き換えているということはその時代とコロナ禍で何か共通点があるのだろうと感じた。
私は『城崎にて』を読んだことがないので、小説の方も読んでみたいと思った。
私はコロナウイルスにかかった事は無く、家族や身近な人をコロナウイルスで失ったことも無い。だが、様々な芸能人がコロナウイルスで命を亡くしたことをニュースで知り、コロナウイルスの恐ろしさを感じたのを鮮明に覚えている。
私はコロナウイルスが流行りだした頃に上京したので、その事を何度か批判されたことがある。
最近は色々な場所でコロナウイルスという言葉を聞くことが少なくなり、普段の日常に戻りつつある。終息するのはまだまだ先のことかもしれないし、もしかしたら終息自体が厳しい事かもしれないが、コロナで亡くなる命がひとつでも少ないことを願うばかりだ。
私たちが過去の出来事を歴史として語る様に、未来の人々は今のコロナを語るのだろうかなどと考えさせられた。
この作品は日本語字幕の他に英語字幕、英語字幕+日本語音声ガイドで観ることができるアクセシビリティに配慮された作品である。