【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】第61回「○+△+□=動き・巡り↗︎映画」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
第61回は「○+△+□=動き・巡り↗︎映画」 です。
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親子向に学びのプログラムを開発しているコネリング・スタディとAokidによる子どもたちとAokidの動きをなぞっていくワークショップの映像である。
元映画館を舞台に、ダンスのような、そうでないような、身体のような、そうでないような。
スクリーンや光を使って、ラップ、ミラーボール、街、岩、植物、ギター、ダンス、階段、宇宙。
Aokidの頭のなかをひっくりかえしたように、次々とイメージが移り変わっていく。
最初は違和感を感じた子ども言葉の様な字幕がだんだんと多言語のような感覚になっていく。
Aokidは音の出るものを探しながら映画館の中へと進んでいく。
中に入るとスクリーンに何やら映像。
Aokidはその中の音と会話するように擬音を口にしながら進んでいく。
中は暗く、観ているこちらからは描写を理解出来ない場面もちょいちょいあるが、Aokidはお構いなしに進めていく。
と、いきなり映像が明るくなってバーのような空間で動いているAokidがどんな状態なのかがやっと伝わってきた。
カメラを手に動き回るAokidがスクリーンに映っている。
ここら辺から発してる言語が子ども言葉というよりは酔っぱらいの様にも感じられてきた。が、しばらく観ているとだんだんこれはラップの様な形態なのだと気付いた。
同時にこの作品の対象者が大人なのか子どもなのかその両方なのかよくわからなくなってきた。
すると今度はブルーシートをプールに見立ててスイマーが現れる。
凄くチープな舞台演出なのに観ていると水中に思えてくるのが面白い。
その後も場面を変えAokidは言語等「伝える」という行為を極力使わず映像と光と自分の身体を使って何かを伝えようとしている。
出すリズム、表現行為、言語、そのどれもが意味を持たず、意味を持たせない事でなんらかの意味を持たせているのだろう。
無意識でそれらを観ているとふとした瞬間に架空の国の言語で歌い踊っている様な気になってきたりするから不思議だ。
最初のうちは対象者を絞ろうとしてみたり、Aokidの発する言語の意味を探してみたりしていた自分が次第にAokidの世界に引き込まれていった。
どういう気持ち?心持ち?
でこの作品と対峙するかで、観る人の感想も印象も大きく変わりそうな気がする。
私自身先入観を持って観始めた冒頭と後半で作品の印象は大きく違っていた。