【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文】第67回「わが星 ままごと」

2024年7月21日

わが星トップ画像 大きな光る円の周りに片足立ちする8人

こんにちは。恭加 (きょうか) です。

恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALL新しいウィンドウで開くの作品。

第67回は「わが星 ままごと」新しいウィンドウで開くです。

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この作品は人が生まれてから死ぬまでの約100年、星が誕生してから消滅するまでの約100億年。

時報を合図に、団地で暮らす一家と星の一生を重ねて描いた柴幸男の代表作である。


2010年に第54回岸田國士戯曲賞を受賞し、現代口語ブレイクビーツミュージカルと称されるなど、演劇の新たな可能性を拓く作品として高い評価を得た作品で、音楽は「□□□(クチロロ)」を主宰する三浦康嗣、振付は「モモンガ・コンプレックス」の主宰で振付家・演出家・ダンサーの白神ももこが担当している。


物語は「無」の世界から始まる。そこにはすでに多くの観客が存在している。

そこから宇宙が誕生する。

同時にそれは様々な生の誕生も表しているらしい。

そして様々な生の様子が描かれて行く。


配信という形状的に仕方ないのかもしれないが、セリフがとても小さく感じられたことが残念。


この作品中、時間の解釈が出てくるが一定の概念というより物語の登場人物の解釈により変化していく。

言われてみれば私たち人間はその時々で時間の解釈を都合よく変化させて生活している。

そもそも時間という概念は私たち人間が創り出した概念なのだと語っている気がした。

作者のジェネレーションなのか一定の時代感が強く感じられる作品だった。

生や死という概念を時間軸を変化させる事で表現しているのだろうか。


この作品は観てる人がどの時点で時間軸を共有できるか、語られているジェネレーションを共有できるかどうかによって作品の印象も大きく変わるかもしれないと思った。


物語の中盤に「光は過去のもので、今見ている光は過去のものだ」というセリフがある。

概念として知っていても改めて小さい単位でそれを突きつけられると、人は思っているより過去と現在を行き来しながら暮らしているんだなという気にさせられた。


そして家族というのは時代の継続の象徴として描いているのかなと思った。


宇宙と家庭と時代を同じ物差しで観せることによって私たちの中に出来上がっている単位のトリックを取り払うとでも言うのだろうか、とても不思議な気持ちにさせられる作品だった。


この作品は、現在、THEATER for ALLのYouTubeのアカウントで無料で観ることができる。

アクセシビリティ無しのオリジナル版の他、日本語音声ガイド版、日本語バリアフリー字幕版があり、アクセシビリティに配慮された動画である。

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