【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文 番外編】厨房のありす 3話 「助けて」って言えばいい
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
2024年1月~3月に日本テレビ系で放送していた「厨房のありす」の感想文。
今回は第3話の感想です。
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街の小さな料理店「ありすのお勝手」を中心に行きづらい人々が織り成す少し切なくて暖かいハートフルミステリーの第3話。
お店で足手まといになっていると言われた倖生(こうせい)。倖生と一緒にホールで働く和紗(かずさ)は親戚が倒れ数日間休むことになった。足手まといと言われた汚名を返上しようと1人でホールを回そうと頑張るが、倖生は思わぬ疑惑をかけられてしまう。
一方、ある常連客は息子の受験と姑に追い詰められたストレスを語る。ありすの育て親の心護(しんご)は苦労だらけの子育ての過去を語る。
3話で1番印象に残ったセリフは心護が頑張っていろいろと抱え込みすぎている常連客に向けて
「助けてって言えばいいんだよ」
と言うセリフだ。
心護はゲイであり、ありすはASDだ。普通じゃない人が普通じゃない子を育てるのは大変だったと心護は話す。
ありすは幼稚園でほかの園児に怪我をさせたり、注意したことを聞かなかったり。ありすに悪気は無いが、他の保護者は迷惑がって園を移るよう責める。
心護は「助けてください」と言い、その結果、少しずつ周りの人が理解し、手伝ってくれるようになった。
今回のテーマは親の価値は子供で決まるのか?というものだった。
良い学校に入れば良い親であり、入れなかったら親の失格だからと常連客が自分を追い詰めるシーンがあった。
確かに子供の人生の大半は親で決まるのかもしれない。
人格の土台は3歳くらいに形成されて10歳ぐらいで確定されると聞いたことある。
だから幼少期の教育によってその子の性格が決まるのかもしれないが、良い学校に入れた=良い子に育ったというのは違うと思う。
追い詰められた母を見て、子供はスーパーでお菓子を盗もうもした。倖生が理由を聞くと犯罪者になって捕まればお母さんはお受験の事から開放されると思ったようだ。
ありすの子育てもそうだが、ありのままの子どもを受け止めて子どもの意思や主張を認めてあげることが大切なんじゃないかと思った。
最後はありすの母が閉店後のありすのお店に来るシーンで終わった。「親の価値は子供で決まるのか」というテーマの流れでのシーンだったので、今後の伏線なのかなと感じた。
厨房のありすは、ASDの主人公、ゲイの育ての親、旦那に悩む常連客等、生きづらさを抱える人が沢山出てくるが、それは誰にも当てはまることだと思う。誰もが生きづらさを抱えているのだと思う。
このドラマはその日常の行きづらい瞬間にたくさんフォーカスを当てているドラマだと思った。
生きづらさを抱える人、頑張りすぎている人に観て欲しい作品だと感じた。
ドラマの放送は終了しているが、この作品はHuluで全話観ることができる。