【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文 番外編】厨房のありす 4話 自分をあきらめないで
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
2024年1月~3月に日本テレビ系で放送していた「厨房のありす」」の感想文。
今回は第4話です。
ー-------------
この作品は街の小さな料理店「ありすのお勝手」を中心に生きづらさを抱えた人々が織り成す少し切なくて暖かいハートフルミステリーである。
ありすは恋愛について、
「私はまわりに迷惑ばかりかけてしまうから、恋愛なんてすると相手に迷惑かけどおし。そのうちに愛想つかしてどこかにいってしまうから私には愛する資格も愛される資格もない。
みんなには当たり前だけど私にはそんな選択はない、私の事好きになる人なんていない」
と話す。
倖生(こうせい)はそんなありすに前を向かせようと、ありすの母親が働いているという五条製薬に連れていく。
母親と向き合おうとするありす、それを阻止しようとする心護(しんご)。
ついにありすの母親についての事実が明らかになる。
ありすが母親だと思っていた人は実は母親ではなくお母さんの姉だった。ありすが3歳の時に研究所で大きな火事があり、それに巻き込まれてありすの母親は亡くなった。
ありすは今までお母さんは自分がASDだから自分を捨てたと勘違いしていたが、心護から当時の話を聞き、お母さんが火事の日に自分を助けてくれたことを思い出す。
ありすは
「お母さんが自分の事を好きでいてくれて幸せな気持ちになったから自分も誰かを好きになって幸せにしたい」
と倖生に言う。
また、これまで語られなかった倖生の過去についても語られていた。
倖生の父は犯罪者であり、自分もそういう目でみられ続けてきた。以前働いていた工場で犯罪者の息子だからと財布を盗んだ疑いをかけられて馬鹿にされた事に腹を立て逮捕された。結局不起訴になったが、こんな自分が誰かを好きになってはいけないと思っていた。
私が倖生の過去を知って思ったのが、人に傷つけられた過去がある人は人を傷つけたりしないということである。倖生はありすを理解しようと毎日頑張って、ありすが怖がることや傷つくことは無いように接している。
そんな優しさをもってる倖生だからありすは同居することを許したのだと思う。
純粋でまっすぐなありすと、そんなありすを支えようと頑張ろうとする優しさ溢れる倖生の2人をみていると幸せな気持ちになった。
4話のテーマは「人を愛する資格について」だ。
ASDだと人を好きになってはいけないのか?
犯罪者の息子は人を好きになってはいけないのか?他の作品でも障害者だから恋愛をしてはいけないと親から教えられたと言っている人を見たことがある。
恋愛し、結婚となると一生一緒に居るわけであり、私生活で何かと支えてもらう必要はあると思うが、それは障害者だけじゃく健常者もそうである。純粋でまっすぐなありすに出会って変わろうとしているの倖生と、不器用だけど優しい倖生に出会って少しずつ変わっていくありすをみて、お互いの短所を補い、長所を認め合える関係を築いていける相手を見つけられたら、恋愛すればいいと思う。
お互いが相手を尊重し思いやりを持ち続けられることが大切だと思った。
ドラマの放送は終了しているが、この作品はHuluで全話観ることができる。