【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文 番外編】厨房のありす 10話(最終話) 「残酷な事実、優しい真実」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
2024年1月~3月に日本テレビ系で放送していた「厨房のありす」」の感想文。
今回は最終話・第10話です。
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この作品は街の小さな料理店「ありすのお勝手」を中心に生きづらさを抱えた人々が織り成す少し切なくて暖かいハートフルミステリーである。
ありすの母が亡くなった25年前の五条製薬での火事の真相、倖生(こうせい)の父に横領の罪を擦り付けた犯人。
逃げずに真実と向き合おうと覚悟を決めたありすに心を動かされた父・心護(しんご)は全ての真相を語る。
ありすが、実の父である誠士に育ての父親である心護が火事の原因となった薬剤を購入していたことについて真実を聞き出そうとする。
心護は、全ては誠士がありすの母・みち子を命懸けで助ける振りをして仕組んでいたことを話す。
心護がありすを引き取った理由は、ありすの母親が亡くなり、父親は不明。このままではありすは施設に行くことになるためだった。心護は、ゲイである自分が人から理解して貰えない辛い経験を、同じマイノリティーであるASDのありすと重ね合わせて考えると引き取らざるを得なかったと話す。
心護は、普通ではない自分がASDのありすを育てるのは大変だった、と話していた。
しかし、考えてみれば親はみんなある時いきなり親になると言ってもいい。そういう意味ではゲイもASDも個性とも言えるのではないだろうか。
倖生は、横領の罪を着せられた犯罪者の息子として生きていたが、実はありすこそが犯罪者の娘だった。
それを知ったありすは、「自分の実の父が倖生の父を自殺に追いやった、いずれ嫌われるから」と倖生から離れようとする。だが、倖生は「2人で間を積み上げていって、それを良いものにしようと努力していけばいいんじゃない?」と言う。
ありすには苦手な事が多々あり、「ありすのお勝手」にも細かいルールがある。
逆に言えばありすがありすであるために必要なルールをお客さんや周りの人が尊重し守る事で料理が提供されているとも言える。しかし、1話と最終回付近を比べると、ルールがだいぶ緩和され、ありすも人に合わせるようになっている。話を重ねる毎にありすの目まぐるしい成長が見えた。
最終回の最初は2つのストーリーが同時に始まった。複数のストーリーが同時進行であるとき、視聴者が置いていかれてしまうことが多いイメージだが、この作品は分かりやすく構成されていた印象だ。
今までも様々な作品や物語に接してきたが、この物語に触れて自分の中で、より健常者と障害者の日常的なリアリティとでもいうのだろうか、こういう場合人はこうなんだというようなケーススタディとしてとらえるようになった気がする。それと同時に自分の中にある特殊性?とでもいうのだろうか、他人との違いも浮き彫りになったような気がする。
そして1話からずっと門脇麦さんの演技力が凄まじかった。専門性の高い言葉の莫大なセリフ量はもちろん目線や一つ一つの細かい動きがとてもリアルで、ありすというキャラクターが生きていた。
私も近々演技のレッスンで火星人の役をやることになった。普段使わない言葉やそもそも知らない言葉等難しいセリフがたくさん出てきて、台本の量としては多くないはずなのに覚えるのにかなり時間が掛かってしまったので門脇さんの演技には毎回圧倒された。
この作品はhuluで全話見ることができる。