【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文】第71回「老ナルキソス」

2024年10月7日

老ナルキソストップ画像。黄色いオープンカーに乗る山崎とレオ。レオがハンドルを握っていて、山崎が助手席に座っている。

こんにちは。恭加 (きょうか) です。

恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALL新しいウィンドウで開くの作品。

第71回は老ナルキソス新しいウィンドウで開くです。

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老ナルキソス  田村泰二郎、水石亜飛夢

この作品は、まだ「ゲイ」という呼称すらなかった時代からマイノリティとして社会の片隅で生きてきた老人山崎と、性的マイノリティが可視化された"LGBT世代"のレオが,同じ性的マイノリティであってもそれぞれの世代の社会的背景や社会制度で変化する考え方や人生の選択にどう影響を受けていくかを扱った作品だ。

 監督の東海林毅氏は「周緑化された場所で生きてきた高齢の同性愛者と既に社会で可視化された若い世代、その間で揺れるセックスワーカーの若者がそれぞれの時代の偏見や制度によって左右されてきた性的マイノリティの姿を見てもらえたら」と語っている。


 老絵本作家の山崎は自らの衰えゆく容姿に耐えられず作家としてもスランプに陥っている。

そんな山崎がある日レオと知り合いその若さと美しさに打ちのめされる。

一方レオは山崎の作品を心の糧として育ったと言うも自分以外の存在に初めて恋心を抱いていく。 

レオは大好きだった絵本「みのむしもんた」の作者が山崎だと知ってとても嬉しそうだった。 そう告げられた山崎も同様に幸せそうな顔をしていたのが印象的だった。


この作品を観ていてふと思ったことがある。

時代的な背景はわからないけど私がまだ学生だった頃、繁華街などでたまにすれ違ったり見かけたことのある私や友達がいわゆる「ゲイ」だと認識していた人たちは、一見してそれと分かったがこの作品に登場するゲイの人たちはある意味とても「普通」で見た目だけでそれとはわからない。

 

 生活の中でいろんな事にとらわれながら暮らしている私には、この作品に登場する人たちは自分に正直に、あるいは自由に生きているように思えて羨ましくもある。

レオが彼氏と役所に行くシーンがある。パートナーシップで補償される内容が詳しく説明されていて初めてその一部を理解したがなるほどと思う部分と、そこなの?もっと他にも大事なところがあるんじゃない?と思う部分があって未だに整備中という印象も受けた。

 レオがパートナーシップを求める相手に対して「家族とかそういうのが怖い」と言うシーンでは同じマイノリティ同士でもそれぞれに受け止め方があり、私たちとなんの違いもないんだと感じたりもした。

私には自分がマジョリティという認識もないがマイノリティという認識もない。 私だけではなく多くの人がそうなのではないだろうか。

もっと言えば普段の生活の中で自分が今どちら側なのかと考えることがない。

二人が旅先で山崎の旧友を訪ねるシーンでの山崎は普通の人、というより青年にすら見える。

だがシーンが進むとその二人の間にもいわゆるマジョリティが存在する。

この作品に触れ、最初はだいぶ重いテーマの作品を手掛けてしまったかな、私に書けるかなという気持ちになった。

観終わった今でも自分は監督や役者さんたちが思い描いたテーマに沿って観ることが出来たか自信はないが、これがマイノリティの正しい解釈なのであれば、私はこれまでで一番深くマイノリティに触れた気にさせてくれた作品だった気がする。


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