【恭加の「THEATRE for ALL 」感想文】第77回「cube 20th presents Japanese Musical『戯伝写楽 2018』」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
第77回は「cube 20th presents Japanese Musical『戯伝写楽 2018』」です。
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cube 20th presents Japanese Musical『戯伝写楽 2018』
たった10ヶ月の間に、145点余の作品を残し忽然と消えた浮世絵師・東洲斎写楽。「写楽は女だった・・・」という大胆な発想で写楽の謎にせまりながら、寛政の時代に己の才能のまま、熱く自由に生きる芸術家たちの姿を描く。独創的な着想で展開してゆく、中島かずきの脚本と立川智也の音楽による大江戸ジャパニーズミュージカルである。
時代は江戸後期。
様々な庶民文化が発展した時期。いろんな分野のアーティストたちがこの舞台の登場人物だ。
江戸の能役者、斎藤十郎兵衛は町中の喧嘩の様子を絵に書き留める女、おせいと出会う。
おせいの描く絵は人物の内面までえぐり出し、時には醜さも浮き彫りにしてしまう様な絵だった。
時を同じくして、歴史的に有名で才能豊かな絵師達が江戸の町で競い合うように描き、夢を追う。
十郎兵衛は能役者でありながら絵を描くが、絵師としての芽は出なかった。
おせいの絵は見る人全てが「こんな絵は見たことない、新しい」と、言うような絵だった。
十郎兵衛はそんなおせいと偶然出会う。おせいに絵を書いてもらい、おせいの絵を自分の作品として大儲けしようとする。
おせいも「好きな絵を描くことが出来ればそれでいい」と承諾する。
浮世絵について全然知識のない私でも知っている写楽や北斎など有名な浮世絵師が沢山出てくる。写楽は10ヶ月しか活動してないにも関わらず145本余りの作品を出していたのにとても驚いた。
作品の内容自体はフィクションではあるが、これが本当のお話だったらどんなに面白いかと思った。
写楽を名乗っている人物と、写楽として絵を描いている人物は別で、絵を描いていた写楽が実は女だったのなら。
浮世絵師としての写楽は、最期は絵に狂わされて突然姿を消していたら。
写楽が謎に包まれている存在だからこそ本当の写楽は一体どんな人物だったのか、興味深く感じた。
舞台自体がとても大きく生バンドが2階に配置されていてとても豪華な作品だった。
演者はそれぞれヘッドセットマイクを付けていてスピーカーを通して会場に拡声されている。
題材となっている「大首絵」が分からず調べてみたところ当時流行った上半身を描いた浮世絵のことらしい。今私たちが使っている「宣材写真」の発端なのかななどと想像したら色々イメージが浮かんできた。
様々な絵師、今で言うデザイナーやカメラマンにあたるであろ人たちや、広告代理店や制作会社にあたるであろう版元の人たちが今の主流はどこなのか今の最先端は誰なのかを争ってるところに江戸(都会)に来たばかりのおせい(写楽)が現れる。
都会に出てきたおせいの興味は歌舞伎や能。
今で言うアイドルや流行のアーティストの様な存在だったのだろうなと勝手に感じた。
女のおせいは自分がおせいとしてアーティストになることよりも十郎兵衛の影武者としてでも作品を描き、自分の作品を世に出すことを選ぶ。
当時は今の何倍も女性の立場は弱くてアーティストとして世に出て商売とするには大きな壁があったんだろうと想像した。
おせいの前半は愛くるしくかわいらしい演技、後半の狂った演技の落差に鳥肌がたった。
全体的には明るい作品でコメディの様な作品ではあるが、後半は登場人物が様々な欲に引っ張られ狂っていく。
それでも最後は誰も不幸にならない終わり方で、明るい気持ちで観終わることが出来た。
この作品はTheatre for Allのサイト内で案内されている外部サイトでレンタルとして観ることが出来る。