【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】3「コロナ禍 もうろうはいま」
こんにちは。恭加 (きょうか) です。
恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。
3回目の今回は、「コロナ禍 もうろうはいま」です。
「コロナ禍 もうろうはいま」
光と音の無い世界であなたはどう生きますか?
この作品では視覚と聴覚両方に障害をもつ2人の盲ろう者がコロナ禍での生きる厳しさを語っている。
盲ろう者である福島さんには通訳者が2人いて、指点字をしてもらっていた。
通訳者が指点字をする際は福島さんの指に触れる。
コロナ禍で「3密を避けて」と言われているが、福島さんは「すごく過酷な話」だ、と語る。
盲ろう者は一人でいると放置されるので誰かといないといけない。
触手話や指点字を利用するためにはお互いに手が届く範囲に近づかないといけない。密接・密着は避けられない。
そんな盲ろう者に3密を避けてくださいというのは
「『盲ろう者のみなさんは一人でいてください。』という事になるから過酷である」と福島さんは語る。
THEATRE for ALLの他のコンテンツに、自分一人で居る空間は本当に自分が存在しているのかどうかすらわからなくなると盲者が語っている動画がある。
私も、夜寝るときに部屋を真っ暗にし、とても静かで何も聞こえない環境に居るとき、世界から取り残されたような感覚に陥りそうになる。
不意に盲ろう者はこんな世界にずっといるのだろうかと思った。
コロナ禍で変わったことといえばマスクだ。
外出時はマスクの着用が常識になっている。
目と耳に障害のある盲ろう者がマスクをすると五感のうち目と耳以外の残り3つの感覚も奪われ、
五感すべて失った感じだと語る。
マスクをすると、肌が覆われて風の流れや空気の流れ、人が動いた時の空気の流れ、外の自然の風の流れが分からなくなり、すごく孤立した感じになるそうだ。
また、コロナ禍では人との接触を避け、リモートでコミュニケーションをとるのが主流になりつつある。
盲ろう者は触れることでしかコミュニケーションが取れないから、リモートコミュニケーションはできない。
コミュニケーションの機会が少なくなると、精神的に牢獄に閉じ込められているように感じ、心がしんどくなるそうだ。
リモートコミュニケーションを続けていくことにより、触れ合う事やそばにいる機会が奪われ、記号的なコミュニケーションがすべてになれば、人間の衰退の始まりだと思う、と盲ろう者の体験を通して見えてきたと語っていた。
「コロナ禍 もうろうはいま」を見終えて改めて考えた。
コロナ対策とされているものは障害者への配慮が足りないと思った。健常者が決めたものだから、なのだろうか。
対策を決定する場に障害者が参加できれば、障害者への配慮がされるなど何かしら変わっていたのかもしれない。
健常者と障害者が一緒になり考えていく必要を感じた。
コロナ対策により3密を避けること自体が悪いことではないが、健常者と障害者を隔てる壁がある対策である。対策の在り方をもう一度考え直さなければいけない。
この作品は日本語字幕、音声ガイドと日本語字幕、英語字幕、英語音声ガイドと英語字幕、韓国語字幕の5種類ある。
視覚障害者、聴覚障害者の他、日本語を含めて3か国語に対応しているため、多くの人にもみてもらえる作品だ。
しかし、盲ろう者は音を振動に変換される機械が無いと動画を見ることはできない。実際に振動の強弱だけで言語変換ができる機械の開発はされているが映像はみることはできない。
盲ろう者に視覚聴覚情報を伝えるための研究が進み、もっと手軽に多くの人が同じコンテンツを楽しめるようになってほしいと思った。