【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】6 「ももちの世界#6『サバクウミ』ピンク地底人3号」

2022年1月17日

手話で話す女性

こんにちは。恭加 (きょうか) です。

恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。

今回は、ミュージカル 「ももちの世界#6『サバクウミ』ピンク地底人3号」をご紹介します。

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自分の子どもが難聴だとわかったらどうしますか?


この作品は、難聴の息子を持つ父親の話である。

難聴の息子を受け入れられずに現実から逃げ、映画の中の俳優や息子と同じ難聴である女性と出会い、変わっていく物語だ。


息子は音に反応をしたことがない。

大きな音を鳴らしても起きない息子を、夫婦は不思議に思っていた。

ある日、息子が高熱を出し妻と息子は病院に行った。

主人公は納棺師の仕事をしており、その日はおばあちゃんを棺に納めていた。

棺の中には好きなものを入れることができ、おばあちゃんの棺には補聴器が入っていた。

その補聴器をみて息子は耳が聞こえていないのではないかと悟る。

その後、妻から電話があったが怖くて電話を取ることができなかった。

その電話は、息子に聴覚障害があると知らされた妻からのSOSだった。


自分の息子が難聴だとわかった時、父は怖くなり逃げ、母は泣いた。

難聴はよくないことだから泣いた自分は最悪だと母は後悔していた。


もし自分の子供が難聴だと突然伝えられたら、どう思うだろう。

確かに、健常者より生活の面で大変なことが増え、難聴という事に受け入れられるのに時間がかかってしまうかもしれない。

だが、それは聴覚障害者について知らないからだ。周りに聴覚障害者がいないと触れあう機会がない。

難聴について知ること、実際に当事者がどのような生活を送っているのか知ることで、受け入れることができると思う。


この主人公も、息子と同じ難聴の女性と出会い、仲良くなるにつれて自分の息子の将来とその女性を重ねていく。

俳優を目指しオーディションを受けて、夢に向かって頑張り輝いている彼女を見て、難聴でも夢を追いかけることができると勇気をもらっていた。

知るということはとても大事なことであり、障害を受け入れる第一歩だと思う。


そして、難聴の女性のシーンでは手話を使って話すが、女性が話しているところは字幕が出ずに、手話だけで音声での説明がない。

手話がわからない人は、理解することができないシーンだ。

主人公が手話で話すときには字幕も出るため理解できるが、女性方が手話で話すときは会話の流れからしか内容を把握することができない。

それでも長めのセリフや、流れから把握するのが難しいところが何か所かあった。

最後のシーンの長いセリフが手話のみであり、この映画が最終的にどうなったのか、どんな結末だったのかが把握できなかった。

手話を勉強しないと、この作品を深く知れない気がした。


手話の説明がないシーンを見て、字幕や手話がないときの視覚障害者、音声ガイドのないときの聴覚障害者はこんな感じで見ているのかと思った。

作品を理解して楽しみたいのに、理解できなくて楽しめない。

健常者にそう気づいてほしいとあえて手話に字幕を付つなかったのだろうと思った。


私の周りにも難聴の人がいる。

コロナ渦でマスクをつけるのがマナーとなっている今、マスクで口元が見えず、声もこもるため難聴の人には会話がしづらい。

話しかけられてもあまり聞き取れない為、なんでもうん。といって流す癖がある。

だが、難聴といっても普通の生活をしている。聞き返すことは多いし、話の内容を理解していないことも多いが、ゆっくり少し大きな声で話す。

それでも聞き取れないときはマスクをとって口元が見えるようにするとちゃんと伝わる。

私はこの作品をみて怖くて現実逃避をしたりするほどでもないと思う。

難聴の人が健常者と何も変わらない生活をしている姿を見ていると、周囲の人の少しの工夫で難聴の人も生きやすくなると思った。

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