【恭加の「 THEATRE for ALL 」感想文】21「イマージュ」

2022年5月2日

手話をする男性。男性の手の動きに合わせた木のイラスト

こんにちは。恭加 (きょうか) です。

恭加がご紹介する、バリアフリー オンライン劇場THEATRE for ALLの作品。

第21回の今回は イマージュの感想を書いていきます。

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この作品は、「私」の主観で見る、日常生活の映像だ。

作品のテーマは「環世界」である。

「環世界」とは、生物が世界をどうみているのかということである。

虫や動物、人間、それぞれ世界の見え方は異なる。

また、作品の途中で変化が生まれていく。

この作品は、私が体験している日常生活を、私はいったい誰なのか

ということを問われる作品である。


一回目に見た時は「私」が誰か、ということを意識せずに見た。

すると、電話をしたり、会話をしたり、水を注いだり、部屋の中を歩いたり。

普通の日常生活にしか見えなかった。

「私」が誰なのかと考えながら複数回見てみると、見れば見るほど発見があった。

登場人物は、私と彼である。


私がこの作品を観た時、パッと思い浮かんだのは、

盲者の日常生活だと思った。

ところどころ真っ暗の映像の中に、聞こえる音の文字、音の大きさを表す線が現れるシーンがたくさん出てくる。

また、部屋を歩くシーンで、

「木の柱に触れて右に曲がる。何度も繰り返し触れた木の突起、曲がる跡」

とある。このシーンを見ると、盲者が家の中を毎日壁に触れながら歩いているということが想像ができる。


そして難しかったのが、彼が、

「壁だと思っていたんだって。もう一人はロープで。ロープじゃなくて岩だと思っている人もいて、でも全部違うね。本当は一つなのにね」

と話す。

そして私が、

「でもひとつじゃないんじゃない、触れているところが違うしさ」

という会話をするシーンがある。


この会話の意味が、「私」が誰なのか考えないで見ていると意味が分からなかった。


もし私が盲者だとして、盲者しかいない世界とだと仮定する。

数人の盲者が、そのうちのひとりはそれが壁だと思っていたが、

ロープや岩だと思った盲者もいた。

触る場所が違うと感触が違うためいろいろなものに思える。

だが、もしかしたら一つではなく複数あってつながっているのかもしれない。

という意味だと思った。


普段、音というものをあまり意識して生活をすることは無いが、

この日常生活を見て、暗闇の中に、色々な音が文字で表されるシーンで、

炭酸水の音、鳥の鳴き声、風の音、木が風で揺れる音等、私たちは複数の音を

同時に聞きながら生活をしているんだと改めて実感した。

世の中には沢山の音があって、目が見えて耳も聞こえると、音の部分だけを集中して聞くことはあまりないが、

盲者の生活は音や振動、感触で情報を知る為、

たくさんの音を集中して聞いていたら疲れてしまいそうだなと思った。


だが、途中で彼と会話するシーンがある。

その会話のシーンだが、手話で会話をしている。

私も彼も、音を発して会話をしていない為、盲者ではないはずだ。

そう思ったら次のシーンは私と彼で電話をしているシーンだった。

ここは言葉でお互い会話していた。


作品の途中で私に変化が生まれていくのだが、変化はここなのかもしれないと思った。

この作品の最初は盲者の私、中盤でろう者の私に変化し、その後は健常者になる。

私は一人の視点ではなく、盲者、ろう者、健常者の視点で構成している作品なのではないかと思った。


この作品は、見る人によって捉え方が変わると思う。

答えの無い、ずっと考え続けなければならない作品なのかなと思った。


そして、この作品は5パターンある。オリジナル、見えているものを文字にしている視覚化、

音の世界を文字にしている視覚化、私の意識を音声にしている聴覚化、

私の意識と視覚情報を音声にして聴覚情報を文字にしている視聴覚化。

目の見えない方も、耳の聞こえない方にも、いろんな方にみてもらえる作品だと思った。

健常者も、音の世界を視覚化にしているのを見ることで、気づかなかった音が見えたり、

私の意識を音声にしている聴覚化を聞くことで、見るだけでは気づくことができなかった

部分が何個も出てきたので、いろんなパターンで見てみると、普通に見るだけでは

わからなかった世界をみることができた。


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