【寺島ヒロアドバイザーコラム】2「繰り返す転職、20年気付かなかった夫のADHD」 

2022年1月26日

FIle1:お父さんはADHDの文字.中央に緑の上着、メガネの男性「ジッパーは大体あいている」の文字.左下に汗をたらした男の子と女の子。右側に女の人の顔半分。「フツウの人だと思ってた」の文字

こんにちは。

サニーバンクアドバイザーで漫画家・デザイナーの寺島ヒロです。


前回のコラムで、わたしの子どもたちが2人ともASD(自閉症スペクトラム)であること、私自身も強い自閉傾向があることを書かせていただきました。今回は前回触れなかった、わたしの夫の話をさせていただきたいと思います。

わたしの夫にはADHDがあります。

今50歳なので、もちろん子どもの頃は発達障害なんて言葉は知られておらず、自分自身も発達障害があるなんて全く思いもせず成人になりました。45歳のときにメンタルの不調から精神病院にかかり、初めて発達障害があることが判明した、いわゆる「大人の発達障害さん」です。

21歳のときにI型糖尿病になり22歳で最初の職場を離職。それ以来一つの職場で2年以上勤めたことがありません。結婚したのは22年前ですがそのうち職についていたのはすべて足しても5年ぐらいです。

なぜ仕事を辞めたのかと聞いても、要領を得ず・・・どうやらなぜ職を追われることになったのか、自分でもよくわかっていないようなのです。


40代になり何度目かの無職になったとき、さすがにわたしも「おかしいな?」と気がつきました。仕事を辞めたとき「できなくて悔しい」「収入が途絶えて不安だ」という言葉が全く出てこないのです。

「先輩たちに目の敵にされてとにかく怒られた」「もう就職してすぐ辞めたかったが辞めたらみんな(自分の親やわたしのこと)に怒られると思って我慢してた」と、とにかくやたら誰かに「怒られる」「怒られた」という事を気にしているのです。何かを決める時の基準が「怒られたくない」という感情だけでできていると感じました。

その一方で、家庭では頼んだことをなんでもやってくれる良い夫、同じ話を繰り返す息子の話を何度でも聞き、夜中に何度も泣いて起きてくる娘をあやしてくれる良いお父さん。学生時代の成績も決して悪かったわけではありません。仕事をするうえで何が問題になっているのか、当時はわたしにもはっきりとは分かりませんでした。


そんなある日、息子の支援級の時の先生に偶然お会いして話をしていた時のことです。話の経緯は忘れてしまったのですが、その時先生がこんなようなことを言いました。

「私たちが小さかった頃は発達障害なんて言葉なかったし、ちょっと変わった子も地域が受け入れてくれた。今の子は厳しい環境を生きてるんですよ。ねえ?私たちだって多分今だったら発達障害って言われてましたよねえ。」

それを聞いた途端「ピピピピーっ!」と頭の中で電流が走りました。


「わかった!わたしだけじゃなくて夫も発達障害だったんだ!!」

私はASD、子どもたちもASDです。それもかなり障害特性の強い方。そのせいで比較的症状の軽い夫のことを「健常者」だと思い込んでいたのです。でも、家族の外から見ると…それも常日頃発達障害のある人と接している支援学級の先生などから見るとグレーゾーンどころか真っ黒だったんですね…。


先生と別れた後、夫にそのことを言うと、

「療育センターの先生にも、息子さん、お父さんとは特性があんまり似てないですねって言われたことがあるから、俺にも何かあるんじゃない?」と、夫はケロリと応えました。


はやく言えや!!って思いましたね。ええ。

しかし、これを言うべきかどうか、重要かそうでないかがそもそも分からないのが、夫のADHDの特性なんでしょう。

今は診断もつき、家族の理解の元、夫も自分の障害特性と向き合えるようになってきました。


夫は「ADHDだと分かって治療を始めてから人生が始まった、いま3歳ぐらいだと思うから優しくしてください」と何かにつけて言ってきます。さすがに面倒くさいので、「いま3歳…」から後は、いつも聞かなかったふりをしています。


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