【くらげアドバイザーコラム】2 障害があると「就職」が難しくなるのはなぜかを考えた

2022年4月1日

パソコンに向かう車椅子利用者

前回、「【くらげアドバイザーコラム】1 障害による『仕事の困難さ』を体験して考えたこと」では私自身の障害者としての遍歴を語りましたが、今回は自分自身の経験から、「障害者はなぜ就職することが難しいのか」について考えてみたいと思います。 


私も就職にはだいぶ苦労しましたが、今から考えるとその理由は二つに分けられます。

 

一つは「障害があることそのもの」で健常者と比べて仕事ができる幅が少ないということです。

聴覚障害のある私は、今でこそ人工内耳が適合してある程度は電話やオンラインミーティングができますが、それでもやはり普通の人と同じように理解できるかといえば、どうしても怪しいところがあります。

 聞こえないことによりどうやっても普通の人より「コミュニケーション」や「情報の伝達」についてはコストもリスクも高くなるため、電話やコミュニケーションを中心にした仕事はどうしても難しくなるため、「できる仕事」に制限が生じてしまいます。

 また、ADHD の症状により気分のムラが激しく、長時間集中して黙々と働くということができません。これは仕事への気持ちの問題ではなく、「脳の機能の問題」であって、これを根本的に解決する方法は今のところ発見されていません。この機能の問題は「円滑に仕事を進める」という上で大きな障害となってしまっていました。ここでも選択の制限が生まれてしまっています。

 

これは障害が直接仕事の選択の上で問題を生じさせるということですが、もう一つの問題として社会的な偏見や誤解があるように思います。障害があるためにできない仕事があるのは間違いないのですが、だからといって「障害があるから仕事ができない」ということではありません。しかし、障害があることで「仕事が全体的にできない」と思われることも少なくありません。

 日本では「何でもまんべんなくできる人」が好まれる傾向がありますし、採用試験でもこのようなゼネラリスト的な能力が重視されているというのは前々から指摘されているところです。採用基準が何ができるかではなくなにかできないかで判断される基準が強い場合、障害によってできないということが強調されてしまい、「障害があると仕事ができない」という偏見が強まるように感じています。

 そもそも、「障害があるなら一般的な求人ではなくて障害雇用で働いてください」ということが前提になっていて、障害者雇用以外での働き方がとても少ない。これは障害者個人の努力でどうにかなるものではなく、社会全体の偏見や圧力によるものでしょう。

 

これまでの話をまとめると、一つ目は問題は「個人的な問題」で、二つ目は「社会的な問題」となるのですが、個人的な問題はある程度までは努力や支援機器の活用などでカバーできても、社会的な偏見までは変えることができません。しかし、社会的な偏見をなんとかするためには個人が声を上げるだけではどうにもなりませんし、今すぐ改善できるものでもありません。これらの問題が複雑に絡み合って障害者が仕事がしにくい社会が出来上がっているのでしょう。

 

では、これらの問題に解決の糸口はないのでしょうか?次回はそれを考えてみたいと思います。

ページトップへ移動